生きづらさを感じているには多いと思います、「一人反省会」。私も無意識にやってしまいます。
特に他人と関わったあとにしてしまいがちです。
あの時って、自分はどうふるまうべきだったんだろう。こうだった?ああだった??
あんなこと言わなきゃ良かった…笑われちゃったよ…
自分のあの発言が、その場の空気を悪くしちゃった…もう二度としない!
その日は夜寝るまでエンドレスでぐるぐる考えてしまいます。翌日以降も、ことあるごとに思い出しては「あー自分はあの時どうして…」と考えてしまいます。
そんな日々だと生きづらいですよね。身近な人に相談しても、「考えなきゃいいじゃん」で終わり。考えないようにできるならとっくにできてるんですよね。できないから悩んでいるんです。
そんな一人反省会の悩みは、この本を読んだことでだいぶ改善されました。同じ悩みを持つ方にはぜひ読んでいただきたいです。
「現実はフィクションであり、過去の記憶ももちろんフィクション」と認識することで、悶々とする一人反省会から卒業!
一人反省会とは何でしょうか。
「自分はこうなんだ」という自己認識を作り上げて、それにそぐわない結果が出ると「本当なら自分はもっと良い行動ができたはずなんだ」と思い込みたくなります。それが一人反省会ではと私は分析しました。しかしこの本はそんな意見を覆してくれました。
すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。そんなことしたら、苦しいに決まってる。
「幻」であるからこそ、僕たちの存在はたえまなく変化していく。
「知らん人」→「友達」→「彼氏」→「夫」→(離婚)→「他人」
「同じ人」であるはずなのに、つぎつぎに変化する。
関係性は幻であり、変化する。確かに生まれてから死ぬまで全く同じ人は存在しません。
自己認識に関しても同様です。だから自分で作り上げた「自分とはこうだ」というのに執着しても苦しいだけ、ということですね。本当に、経験しているからわかるけど、苦しいだけですよね。
家族や職場も、国も、目の前のモノさえも、幻でありフィクションである、という主張はすんなり私の中に入ってきました。妹や弟が生まれたら初めて自分は「姉や兄」になります。入社したら「○○社の社員」になり、退職したらその会社との関係がなくなります。
そう考えると、フィクションの中で構築した「自分とはこうだ」というものにがんじがらめになって窮屈に生活するよりも、「自分は何者でもない」と考えたほうが絶対的に楽です。私はそれで初めて過去を手放すことができました。
老子は「ほぼ草」。
荘子は「無職」。
からっぽすぎる。
むしろ、からっぽを極めることによって、かれらは無限のパワーをつかっていたのだ。
そして、本書には「自分は何者でもない、むしろからっぽが最強なんだ!」と書いてあります。
本書を読み終えた今の私も、からっぽな状態が最強だと心底思います。
もしかしたら日頃感じる生きづらさは、自分で独自に作り出しているだけかもしれません。
からっぽになれれば生きづらさは解消され、ありのままの自分で心地よく生きていける。
心からそう思わせてくれる本でした。
ぜひ本書を読んで、一人反省会から卒業して生きづらさを軽減させてください!
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